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キリスト教入門(1)

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
 独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」
 
ヨハネによる福音書3章16節
 
 
イエス・キリストは、およそ30歳の時に、ユダヤのガリラヤで福音宣教を始められました。
第一声は「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」(マルコによる福音書1章15節)でした。

 国内外のニュースを見れば、人が集まるところには、何かしら問題があるようです。
この世の中には「神の国」と呼べるような、永遠に素晴らしい場所や国は見つけられないかも知れません。
しかし約2,000年前にイエス・キリストは「神の国は近づいた。」と語りました。
「神の国」は、神様が王で支配している国です。
キリスト信者には希望溢れる国です。

 神様は絶対の絶対、完全の完全です。
嘘をつくことも言うこともできないお方です。
「光あれ。」と言えば、「光」があるお方は、私たちに
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ書43章4節 新改訳)と語られました。

 神様が私たちをどんなに尊く思って愛し、何が何でも「神の国」に招きたくても、神様の心に反する、きよめられていない心の人や、罪や汚れや嘘や偽りを持ったままの人は「神の国」に入れません。
「神の国」に行ったら、自分の都合で嘘をつく人が居た。
自分の都合が良い様に人を使う人が居た。
そんなことでは、「神の国」もつまらなくなってしまうでしょう。

 神様が私たちに求めておられることは、「心を尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、神を愛し」また、互いに「隣人を自分自身のように愛する」ことです。
しかし自分を騙した人、不愉快な思いをさせた人、強制し自由を奪った人を、赦し和解し愛しなさいと言われても、それは至極難しいことです。

​ 互いに「隣人を自分自身のように愛する」こと、これは人が一番苦手なことなのかも知れませんが、出来なければ「神の国」には入れないでしょう。
そんな始末に負えない私たちを、神様は身を乗り出して愛し、滅びて欲しくない。
地獄などへ行って欲しくない。
必ず「神の国」へ来て欲しいと願っておられます。

 私たちの勝てない相手の一つは死でしょう。
どんな人でも300歳までは生きられないでしょう。
必ず死にます。善い人も悪い人も普通の人も、必ず死にます。
死を克服できる人は居ません。
同じように罪を克服できる人も居ません。
死と罪を克服することのできない私たちの代わりに、死と罪を引き受けられた方がイエス・キリストです。
このお方は一度も罪を犯したことが無いのに、私たちの身代わりに十字架に架かり、私たちの代わりに死んでくださり、永遠の命を譲ってくださいました。
主イエス様は、十字架の上でこう祈られました。
「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか分からないのです。」(ルカによる福音書23章34節)
そして私たちの初めのモデル(初穂)として甦られました。

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
 独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」

 ヨハネによる福音書3章16節


 
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