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キリスト教入門(4)

「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥(なだ)めの献げ物として御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。
 ヨハネの手紙一4章10節

愛はどこにあるのか?と問えば、聖書は、
ヨハネの手紙一4章10節の後半で
「ここに神の愛があります」と宣言しています。

「ここに愛がある」と言われても、世界に目を向けると、神様の愛を感じるよりは、痛みや恐ろしさを感じるような出来事や災害などが目につきます。
軍事衝突や紛争、世界各地での自然災害、感染症等の
新しいニュースが毎日あるように思います。

聖書の語る、「ここ」とはどこでしょうか。
イエス様に出会い、共に生きたヨハネは何を聞き、何を見たのでしょうか?
そして、私たちに何を伝えたいと願っているのでしょうか?

旧約聖書の時代は、ノアの時代の大洪水だけではなく、
食料難も戦争もありました。
大変だったと思います。

新約聖書へ移ったら、神様の愛に守られた理想的な生活が送れたのでしょうか。
マリアとヨセフは泊まる場所がなく、家畜小屋に通されて、そこでイエス様はお生まれになりました。
その後ヘロデ王に命を狙われ、家族はイエス様を連れてエジプトに避難しました。

伝説ではヨセフは早くに亡くなり、イエス様はヨセフの後を継いで、大工をしながら家計を支えたといわれます。

イエス様は、おおよそ30歳で福音宣教を始めますが、
また命を狙われ迫害を受けます。
そして最後は十字架に架けられました。

聖書が記しているのは、生活に必要なものは何でも豊かに満たされ、神様の恵みがあふれた、生活に余裕のあるイエス様の姿ではありませんでした。

ヨハネの手紙で語られている「ここに愛があります」とは、父なる神様が「宥(なだ)めの献げ物として御子をお遣わしになった」ということです。

ヨハネによる福音書3章16節には、
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」とあります。

クリスマスの日にイエス・キリストがこの世に生まれて下さったこと、ここに神の愛があるのです。
イエス様が人となってこの世に来られ、私たちの罪の身代わりとなって十字架に架かって命を落とされました。
ここに、神の愛があるのです。

「宥(なだ)めの供え物」は、罪に対する神様の怒りを宥(なだ)めるというものです。
主イエス様の十字架は、私たちの罪に対する神の怒りを完全に宥(なだ)めて下さいます。
この主イエス様の十字架の死によって、私たちの罪はすべて赦されたのです。

ヨハネの手紙一1章7節には
「御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいました」とあります。
これ以上に聖い愛は、世界中どこを捜しても無いのです。
この全地全能の神の愛は、聖書以外には見つかりませんし、捜し回る必要はないのです。
なぜなら聖書に、「ここに愛があります」とあり、
聖書の中に神様の愛が記されているからです。

教会で献げている礼拝、「ここに」神様の愛があるといってもよいと思います。
神様が共におられ、恵みと祝福がありますように。



遠州キリスト教会牧師 三輪保志
開花

ウェスレアン・ホーリネス教団
遠州キリスト教会

〒431-1304

静岡県浜松市浜名区細江町中川6946-2

 TEL.053-523-2494

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