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キリスト教入門(3)
「十字架の言葉は、滅びゆく者には愚かなものですが、
私たち救われる者には神の力です。」
コリントの信徒への手紙一 1章18節
今回は、十字架について考えたいと思います。
神のひとり子、イエス・キリストは目には見えませんが、私たちと共におられ、
貧しさや苦しみ、悲しみや困難等に直面している人の痛みをご自分の居場所とし、
共有する者として、家畜小屋でお生まれになりました。
罪を犯したことはありませんでしたが、
自分の犯した罪に悩み苦しみ、苦悩する人を愛し、
同じ者となられ、罪の悔い改めの洗礼を受けられました。
ご自分も共に苦しみを通過し、痛みを経験されるお方です。
そして、悔い改める人に赦しと希望を与え、
神の支配へ導くために、イエス様は十字架にお架かりになられました。
「彼は私たちの背きのために刺し貫かれ
私たちの過ちのために打ち砕かれた。
彼が受けた懲らしめによって
私たちに平安が与えられ
彼が受けた打ち傷によって私たちは癒やされた。」
イザヤ書 53章5節
イエス様が生まれる700年も前に、
預言者イザヤはイエス様のことをこのように表現しました。
神様は正しい方で、どんな小さな罪でも見過ごされないお方です。
その神様は、私たちが生まれる前から私たちを愛して、
私たちが生まれる前に、私たちの罪の贖いのために
イエス様を身代わりに十字架にはりつけにされました。
イエス様は永遠に愛のお方です。
イエス様は、ご自分が激しい苦しみの中にありながら、
私たちを思いやり、
「父よ、彼らをお赦しください」(ルカ23・34)と祈られ
「成し遂げられた」(ヨハネ19・30)と語られました。
「成し遂げられた」は「完了した」という意味です。
私たちの罪の贖いは完了したのです。
この十字架は、
贖いなしに罪を赦すことのない神様の正しさと、
絶対に、私たちを罪の罰から救いたい。
絶対に、罪の罰のゆえに滅びて欲しくないというしるしです。
このイエス様の十字架の愛があるからこそ
私たちは罪が赦された確信を持つことができます。
そして神様ご自身が、このことを信じても大丈夫だと
保証してくださっています。
イエス様の十字架の言葉は、
何一つ付け加える必要のない
永遠の罪の赦しと救いの約束です。
イエス様の十字架を信じ、
感謝と喜びの日々を歩みましょう。
神様からの愛と恵みが豊かにありますように。
遠州キリスト教会牧師 三輪保志
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