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イースター (Easter)


イースターは、イエス・キリストの復活を祝う日です。


聖書には、イエス・キリストは金曜の午前9時に十字架に架けられたと記されています。

そして午後3時に「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれ、息を引き取とられ、日没前に墓に葬られます。

この日を“受難日“、“受苦日“、“聖金曜日“と言います。


そして3日後の日曜日の朝によみがえります。

この日曜日を“イースター“、“復活祭“として祝います。


この祝日は「春分の日の後の満月を過ぎた次の日曜日」と定められ、

2022年は 4月17日(日)

 23年は 4月 9日(日)、

 24年は 3月31日(日)と、年によって違います。




信仰生活の中で


 大正生まれの大先輩のクリスチャンが、よくお祈りの中で

「神はその獨子を賜ふほどに世を愛し給へり、すべて彼を信ずる者の亡びずして、永遠の生命を得んためなり。」と文語でヨハネによる福音書の3章16節を引用されていました。

 この方の信仰、心の様子、立ち居振る舞いや表情は、この聖書の言葉が創ったのかなと想像すると、今でも懐かしさで胸がいっぱいになります。


 同じヨハネによる福音書に、キリストが十字架に架かり確かに死んだということが、次のように記録されています。

「イエスのところに来てみると、既に死んでおられたので、その足は折らなかった。しかし、兵士の一人が槍でイエスのわき腹を刺した。すると、すぐ血と水とが流れ出た。」

 (ヨハネ19章33,34節)


 イエス・キリストが十字架に架かられたのは、私たちの罪の身代わりのためであり、私たちの罪の罰を一身に引き受けられたからでした。

その結果、私たちはイエス・キリストの聖い命を賜物として譲られています。

そして、ヨハネによる福音書にイエス・キリストが3日後に復活されたことが、このように記されています。

「その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。」

 (20章19,20節)


 パウロは、「キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。」(ローマ6章4節)と記しています。

 イエス・キリストが十字架で死なれ復活されたのは、私たちも同じように復活の命を経験し、生きるためだと語ります。

信じる者には、イエス様と同じように復活の命が与えられているのです。


 また、聖書は「自分の神に会う備えをせよ。」(アモス書4章12節)と勧めています。

途切れることなく、見捨てることも、見放すこともなく、 私たちを愛し、罪の赦しと永遠の命を与えられる神様に出会いましたか?

神様がどんな時にも共にいてくださるので、絶望することは無いのです。

イエス様は よみがえられ、今も生きておられます。


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