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2021年 ウェスレアン・ホーリネス
信越聖会(静岡教区共催)
9月20日(月・祝)
テーマ「危機にある世界への愛」
講師:木内一夫師(福岡エルシオン教会牧師)
会場:駒ヶ根パノラマ・エルシオン・チャペル
聖会Ⅱ「世界に満ちあふれる愛」
Ⅱコリント 9:6~15
聖会Ⅰでお話ししたキリストに満ちあふれる愛を、世界中に満ちあふれさせる為にはどうしたら良いのでしょうか。
それは3つの所にキリストの愛が満ちていくことによって、可能となっていきます。
最初にキリストの愛を満たしていく所は、私たちの心です。
一人ひとりが世界の一員ですので、その一人ひとりの心にキリストの愛が満ちていくことによって、世界に満ちあふれていくのです。
どのように私たちの心に満ちるのでしょう。
Ⅱコリント9:6
つまり、こういうことです。惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。
私たちの心を考えていく時、キーワードとなるのは「惜しむ心」です。
この箇所の直訳は「わずかを蒔く者は、わずかを、豊かに蒔く者は豊かに刈り入れる」です。
困難な中にあるエルサレムの人たちを助ける為に、豊かに蒔いて(捧げて)いくと、それは豊かに実り、わずかしか蒔かない(捧げない)と、わずかしか収穫できないというのです。
あなたの心に、豊かに蒔こうとする思いを持ちなさいとパウロは言うのです。
Ⅱコリント9:7
各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。
不承不承は「嫌々ながら」という意味です。
口語訳聖書では「惜しんで」と訳されました。
「惜しむ」ということの反対は、「喜ぶ」ということです。
捧げる時には、このことでイエス様にお仕えし、神様の恵みがあらわれるのだと喜んで捧げなさいということです。
Ⅱコリント9:11
あなたがたはすべてのことに富む者とされて惜しまず施すようになり、その施しは、わたしたちを通じて神に対する感謝の念を引き出します。
ここでの「惜しまず」は、「純真に」「二心(ふたごころ)なく」という意味です。
神様を純真な心で愛していき、また困難な中にある方をも純真な心で愛して捧げていく時、もったいないという気持ちはなくなり、私たちの心は神様に喜ばれるものになっていきます。
Ⅱコリント9:5
そこで、この兄弟たちに頼んで一足先にそちらに行って、以前あなたがたが約束した贈り物の用意をしてもらうことが必要だと思いました。渋りながらではなく、惜しまず差し出したものとして用意してもらうためです。
この箇所での「惜しまず」というのは、「貪欲でなく」という意味です。
十字架にかかられた時、イエス様は渋りながらだったでしょうか。
全ての人の救いの為に、惜しまず十字架にかかってくださったのです。
そのイエス様に倣い、イエス様の心をいただいて、惜しまず神様にお捧げしていける者となっていけたらと思います。
そうすると私たちの心は、イエス様の愛がわかり、感謝や喜び、良いことがあふれて豊かになっていきます。
これは私たちの大きな力になっていきます。
2番目にキリストの愛を満たしていく所は、兄弟姉妹、教会です。
本当に心から喜んで犠牲を払って一生懸命に捧げる人の姿は、他の人たちに喜びを与え、励まします。
Ⅱコリント9:11
あなたがたはすべてのことに富む者とされて惜しまず施すようになり、その施しは、わたしたちを通じて神に対する感謝の念を引き出します。
神様に対する感謝が引き出されているのは、コリントの方々が純真な心で捧げたからです。
Ⅱコリント9:12
なぜなら、この奉仕の働きは、聖なる者たちの不足しているものを補うばかりでなく、神に対する多くの感謝を通してますます盛んになるからです。
コリントの方々が捧げたことで神様への感謝が生まれ、さらに捧げる方々が起こされるのです。
Ⅱコリント9:2には、コリントの方々の熱意は、マケドニア州の多くの人々を奮い立たせたとあります。
Ⅱコリント9:14
更に、彼らはあなたがたに与えられた神のこの上なくすばらしい恵みを見て、あなたがたを慕い、あなたがたのために祈るのです。
そして、そのように捧げるコリントの方々を慕い、祈るようになるというのです。
一生懸命に祈ることができるということは、恵まれているということです。
エルサレム教会の人々の反応は、次のように書かれています。
Ⅱコリント9:13
この奉仕の業が実際に行われた結果として、彼らは、あなたがたがキリストの福音を従順に公言していること、また、自分たちや他のすべての人々に惜しまず施しを分けてくれることで、神をほめたたえます。
コリントの方々は、エルサレムの自分たちを愛して捧げてくださった、そのような愛の心を与えてくださった神様に、感謝と賛美が起こるというのです。
世界大の愛の為に捧げることは、キリストの十字架の愛が豊かにあらわれてくることなのです。
神様は豊かに与えてくださっていますが、私たちは、基本的には自分の持っている分で、それぞれの力に応じてしか捧げることができず、一生懸命に取り組んでも、できることには限りがあります。
しかし他の教会の人たち、他の地域の人たちも一緒になって取り組めば、より豊かな働きができるようになります。
また、神様の前に喜んで捧げていく姿は、教会全体を奮い立たせていきます。
その意味で、顔と顔とを合わせてお分かち合いをすることはとても大切なことで、その中で神様の御業が進んでいくのです。
惜しまない心が神様から与えられ、豊かになり、そして喜んでお仕えしていく時、他の兄弟姉妹、教会を励ましていくのです。
これがどんどん広がっていくことで、全世界へと広がっていく愛となるのです。
3番目に、キリストの愛を満たしていく所は、時間です。
今だけ満ちるというのではなく、ずっと満たし続けていくということです。
Ⅱコリント8:10、11
この件についてわたしの意見を述べておきます。それがあなたがたの益になるからです。あなたがたは、このことを去年から他に先がけて実行したばかりでなく、実行したいと願ってもいました。
だから、今それをやり遂げなさい。進んで実行しようと思ったとおりに、自分が持っているものでやり遂げることです。
パウロはコリントの方々に、あなたがたは去年から決心して始めているのだから、それをやり遂げなさいと言いました。
私たちは一生懸命に何かをしていても、上手く物事が進まなかったり上手くできなかったりすることがあり、中断され、時間にキリストの愛を満たしていくということが難しくなることがあります。
Ⅱコリント9:10
種を蒔く人に種を与え、パンを糧としてお与えになる方は、あなたがたに種を与えて、それを増やし、あなたがたの慈しみが結ぶ実を成長させてくださいます。
パウロは、コリントの方々がエルサレムの方々に捧げるものを集めていることは、種を蒔いていることだと言うのです。
種を蒔くと、やがて実りがあり、収穫があります。
神様の愛を満たしていく為に、種は蒔き続けなければなりません。
実は実った時にしか収穫できませんが、イエス様の愛の種は、いつでも蒔くことができます。
それを成長させ、実らせてくださるのは神様なのですが、種を蒔くのは私たちなのです。
蒔く種、イエス様の十字架の愛という、世界中の人を包み受け止めていくことのできる愛の種は、既にいただいているのです。
それを伝えていくのです。
「パンを糧としてお与えになる」というのは、しばらくは実りが無いということです。
種を蒔いても直ぐに収穫はできません。
しかし食べられない間は、神様が食べる物をお与えくださるので、実るまで続けなさいというのです。
神様の愛が広がっていく為の働きに用いられる時、神様は全てを備えてくださっているのです。
種も与え、実るまでの糧も与え、働きをしていくことができるようにしてくださっているのです。
そして蒔いた種は、やがて実を結ぶのです。
種を蒔くのは今です。
私たちは「今コロナだから」「コロナが終わったらしよう」と言うことをやめなければなりません。
そう言いながら2年が経とうとしています。
早く収束して欲しいですが、先のことはわかりません。
「コロナが終わってから」と言っていたら種を蒔くことはできません。
コロナ禍の今でも広がっていく、イエス様の大きな命、愛が既に与えられているのですから、今でも蒔ける種を蒔いていきましょう。
私たちの教会では、クリスマスの時期に地域のタウン誌に約3,000部の折り込みをし、子どもクリスマス会、クリスマス礼拝、キャンドルサービスの案内を出して、教会にお誘いしていました。
しかし去年「教会に来てください」ということができない中で、その言葉をチラシに載せることをしませんでした。
その代わりに「お家でクリスマスをお祝いしてください」と載せ、その為に助けになる動画を作り、その動画が視聴できる場所を載せました。
どれだけの方がそのようにしてくださったかは分かりませんが、神様におゆだねし、教会に来られなくてもイエス様に会い、クリスマスの本当の意味を知っていただくこと、そのようなことが大切なのではないでしょうか。
イースターにはイースターエッグを作って、教会に来てくださった方に配っていましたが、別の方法を考えました。
イースターの日曜日の夕方に教会の前に立ち、イースターエッグをカゴに入れ、そこを通る人に配ることにしました。
祈りながら準備していたのですが、残念ながら雨が降ってしまい、通る人は少なくなってしまいました。
しかし、教会学校に来たことのない小さなお友達が、興味を持って喜んでもらってくれるということを体験することができました。
今年のクリスマスは、初めから教会に来てもらう為のプログラムはやめ、必要な場合はお手伝いさせていただくということで、みんなそれぞれで5分くらいの小さな動画を作ってもらうことにしました。
ある方は、3人のお孫さんとハンドベルをやろうと考えておられます。
長い動画は視聴も大変になるので、短い動画をたくさん作り、興味のある方にたくさん視聴してもらえるようにしようと考えています。
5分の説教も作ってくださいと言われています。
上手くいくかは分かりませんが、これら全てのことに言えるのは、「コロナが終わったらしよう」と言うのをやめたことです。
今できることは何なのか、教会に集まらなくてもできることは何なのか、それを考え実行していくことが、コロナ禍でイエス様の愛を世界に満たしていく為の道なのだと思います。
Ⅱコリント9:10
種を蒔く人に種を与え、パンを糧としてお与えになる方は、あなたがたに種を与えて、それを増やし、あなたがたの慈しみが結ぶ実を成長させてくださいます。
私たちを通して、世界の隅々に至るまでイエス様の愛があらわされ、パンデミックの中で悲しみ苦しみ痛む所に必ず良きものを与えていくことができます。
なぜなら、イエス様がとびきりの犠牲を払い、とびきり貧しくなり、私たちにとびきりの豊かさを用意してくださっているからです。
それが、私たちを通して全世界へと伝えられ、全世界を受け止めていくのです。
そのことへ思いを向けることができるのは、本当に感謝で嬉しいことであり、神様に喜んでお仕えしていこうと思わされることです。
(書き起こし:遠州キリスト教会ホームページ担当)

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