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2021年 ウェスレアン・ホーリネス
信越聖会(静岡教区共催)

9月20日(月・祝)
テーマ「危機にある世界への愛」
講師:木内一夫師(福岡エルシオン教会牧師)
会場:駒ヶ根パノラマ・エルシオン・チャペル

聖会Ⅰ「キリストに満ちあふれる愛」
    Ⅱコリント 8:8~15


今は世界中がコロナの脅威の中にあり、恐れがあり、様々なことが妨げられて思うように進まない状況です。
なぜこのことが起こったのか、どうすれば解決するのかは、神様は教えてくれません。

使徒言行録11:27~30ではアンティオキアの方々が、世界大の飢きんの中で援助の品を送り、パウロたちをエルサレムに送り、交わりを続けることによって、その飢きんを乗り越えていこうとしました。

私たちはコロナ禍の今、集まることが難しくなり、“交わりの飢きん”と言えるような中にありますが、解決の道は、同じように兄弟姉妹、教会が交わりの中に愛の手を差し伸べていくことにあるのではないかと思います。

まず第一に覚えたいことは、貧しさと豊かさの釣り合いです。
Ⅱコリント8:13、14
他の人々には楽をさせて、あなたがたに苦労をかけるということではなく、釣り合いがとれるようにするわけです。 
あなたがたの現在のゆとりが彼らの欠乏を補えば、いつか彼らのゆとりもあなたがたの欠乏を補うことになり、こうして釣り合いがとれるのです。


この世界は色々なことがバランスを取りながら動いています。
どこかが豊かになる一方で、どこかが貧しくなっています。
雨が降ると地球上の水の量が増えるのではなく、どこかで水が蒸発して雲ができるので、雨が降るのです。
そのように地球全体でバランスを取っているのです。

同じように、神様の恵みもバランスの中にあると聖書には書かれています。
誰かが豊かになると誰かが貧しくなり、誰かが貧しくなると、誰かが豊かになるというのです。
もちろん神様ご自身は無限のお方なので、恵みも無限に与えることのできるお方ですが、それを受け止めていく人間の側は有限ですから、どこかでバランスが取られていきます。

創世記3章にあるように、アダムとエバが罪に陥った時、多くの物を得て豊かになろうとし、また神様のようになろうとしました。
私たちもアダムとエバと同じように多くの豊かさを得ようとしてしまう者です。
しかしアダムとエバは、その結果、楽園からは追放され、神様との交わりも失い、夫婦の良い関係も失い、多くの物を失ってしまいました。
それが罪の中に陥っていった人間の姿です。

様々な影響の中で私たちは交わりを失っています。
そのような世界大の貧しさ、苦しさ、痛みの中に私たちは置かれています。
バランスのことを考えると、世界大の貧しさの中にある私たちをそこから救うためには、それを補うことのできる豊かさを与える為に、どこかで誰かがその豊かさを犠牲にしなければなりません。

それがイエス様のやってくださったことであり、イエス様が十字架にかかってくださったということです。
イエス様は神の御子、神であり、全ての物をご自分の物とされていたお方です。
とびぬけて一番豊かだったお方です。

フィリピ2:6、7
キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、 
かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。


無になり全てを失い、一番貧しくなったということです。
一番の貧しさは、イエス様が十字架にかかることで経験されました。
一番豊かだった方が全てを犠牲にされたのは、私たちを救う為であり、私たちがその貧しさの中から豊かになる為に、主イエス・キリストは十字架にかかって死に、よみがえってくださいました。

このようにとびきり豊かであった方が、とびきり貧しくなることで、その豊かさを与えなければ、世界大の危機は愛をもって覆うことはできません。
私たちがどれだけの物を払って、どれだけのことをやっても、世界大の危機は覆えません。
ただ一つ、イエス様の十字架だけが、私たちの世界大の危機を受け止めることができます。
私たちはその世界大の危機を覆うイエス様の愛をいただいていることに信頼を置き、なお進んで参りたいと思います。

もう一つ私たちが考えなければならないのは、その豊かさと貧しさが結びついていくということです。
Ⅱコリント8:2
彼らは苦しみによる激しい試練を受けていたのに、その満ち満ちた喜びと極度の貧しさがあふれ出て、人に惜しまず施す豊かさとなったということです。

苦しみによる激しい試練を受けていたのに、なぜ彼らは極度の貧しさと共に満ち満ちた喜びがあふれたのでしょうか。
一人の人、または一つの地域が、その両方を経験していくというのです。
ここに私たちのもう一つの生き方があります。
それは、貧しさの中で豊かさを経験し、豊かさの中で貧しさを経験していくということです。

パウロはこのように言っています。
フィリピ4:12
貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。

私たちは貧しさを経験しながら、それと結び合わせて豊かさを経験していくのです。
そして豊かさを経験していく中に、誰かに与えていく、捧げていくことで貧しさを経験していきます。
それは私たちの歩みの中で結び合わされていきます。

しかし私たちは、貧しさと豊かさをバラバラにしてしまっています。
貧しさの中では苦しみだけを感じて神様を恨み、豊かになるとおごり高ぶり、神様なしでも生きていけるように思ってしまいます。
それはどちらも神様から離れていく理由になります。

貧しさと豊かさを結びつけていかなければなりません。
貧しい中にキリストの力によって豊かさを覚えていき、豊かさの中にキリストの恵みによって貧しさを覚えていくのです。
貧しい中に入った時も、イエス・キリストが復活なされたのは、この貧しさの中に豊かさを与えるためなのだと信じ続けることです。
それは、私たちがキリストの復活を信じる意味、目的の一つです。

ローマ5:3、4
そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、
忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。


苦難が希望に結びついていくのです。
神様はすでに世界大の犠牲を払って私たちの苦難のために備えてくださいました。
キリストはよみがえられ、死にも命をもたらすことができたのですから、どんな困難の時にも私たちは必ず豊かになっていくことができるのです。

そのように私たちは、キリストの恵みを経験しながら、貧しさと豊かさを結びつけて、同時にそれを受けていくのです。
そしてそれを私たち一人の中でやることもあれば、世界大の危機を克服するために、お互いの中でやっていくことも大切なのです。

Ⅱコリント8:13、14
他の人々には楽をさせて、あなたがたに苦労をかけるということではなく、釣り合いがとれるようにするわけです。 
あなたがたの現在のゆとりが彼らの欠乏を補えば、いつか彼らのゆとりもあなたがたの欠乏を補うことになり、こうして釣り合いがとれるのです。


エルサレムの人々の困難を覚えて、それを自分の欠乏、痛みとすることで支援し補っていこうとすれば、いつか自分たちが困難な時に、エルサレムの人々が祈り支援し補ってくれるというのです。

私たちは教会という共同体の中で、お互いの痛みや苦しみを共にしていくことで、豊かさを経験していくことができます。
そのような兄弟姉妹として結び合わされているのです。
それこそが世界大の危機を乗り越えていく大きな力になります。

他の人の痛みや悲しみを自らのものとしていく時、自分の持っている物を差し出し、その方が豊かになるようにという思いが必ず起こされていきます。
神様は全てをご存じで、必要を満たすことがおできになり、どんなことが起っても、それに対処していくことができるものを与えてくださいます。

世界大の危機を乗り越えていく道はただ一つ、キリストの最大の愛、豊かさです。
キリストの十字架は、貧しさと豊かさを一つに結び合わせ、私たちが経験できるようにしてくださいました。
そしてそれは、私たち一人ひとりの中だけではなく、兄弟姉妹との教会の交わりの中でもそれを受けていくことができるのです。

今日もこのように一緒に集まってお互いの顔を見ながら、世界大の危機を越えていく為に祈り、そしてそのことの為に弱さや様々なことを共有していく中で、神様は確かな御業をなしてくださっています。
信越聖会がそのような恵みの時であることを信じて祈って参りたいと思います。

(書き起こし:遠州キリスト教会ホームページ担当)
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