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キリスト教入門(5)

「大勢の群衆が集まり、
 方々の町から人々が御もとに来たので、
 イエスはたとえを用いて語られた。
 種を蒔く人が種蒔きに出て行った。
​ 蒔いている間に、ある種は道端に落ち、
 人に踏みつけられ、空の鳥が食べてしまった。

 ルカによる福音書8章4,5節

この話は、「大勢の群衆が集まり、方々の町から人々が御もとに来た」
という言葉で始まりますが、
イエス様の、お話は本当に楽しく、大勢の人々が、
もっと聞きたいと集まって来る様子が伝わってきます。

イエス様は、このたとえの説明で
「種は神の言葉である」(ルカ8:11)と語られます。
さらに加えて聖書の学者は、種を蒔くのはイエス様で、
蒔かれる土地は、私たちの心だと言います。

私たちの心の中にはイエス様によって、神様の言葉が蒔かれているのです。
イエス様のたとえ話では、神様の言葉である種は、畑の外まで蒔かれます。

イエス様は種の蒔かれる場所を、
それぞれ「道端、岩の上、茨の中、良い土地」と表現しています。

この4つの土地は、私たちが誰でも持っている「心」なのだと思います。
話をする相手の態度や雰囲気、言葉遣いなどで、私たちの心は変わります。

道端の心になったり、石地の心になったり、茨の心になったりするのだと思います。
誰もが「道端の心、石地の心、茨の心、そして良い心」を行ったり来たりしているのです。

イエス様は、どんな心の人にも御言葉の種を蒔き続けます。

しかし私たちは、
「あの人の心は道端のようだから、せっかく種を蒔いても鳥が飛んで来て食べてしまう。
 だから、種を蒔くのはよそう。」

「あの人の心は、岩だらけ。
 種を蒔いても無駄だ。」

「この人は、茨のような心だ。
 種を蒔いてもどうせ育たない。」

そして良い心の人に出会ってようやく
「ああ、この人のためなら、私は大切な種をいくらでも蒔いてあげよう」
と思うのではないでしょうか?

毎日私たちの心には、一瞬、一瞬、御言葉の種が蒔かれています。
私たちの内に聖霊様が住んでいるからです。

神様の新しい恵みが、その日、その日に用意されているのです。
そして道端の心、石地の心、茨の心に何度も種が蒔かれ、
新しい素直な心になって、神様に向き合うことができるようになるのです。

イエス様の種蒔きは、毎日、毎日繰り返されます。
毎日、毎日が新しい種蒔きの季節なのです。

私たちは、物事を進めようとする時に上手く行かず、
挫折したり失望したり悩んだりすることがあります。

頑張らないといけないと思っても、踏み出せないことも沢山あります。
しかし、主なる神様は「安心しなさい」と語ります。

神様は私の苦悩も痛みも不安もすべて知っています。
重い心も知っています。

神様は私たちを孤独の中に置き去りにするようなことは決してなさいません。
いつも共にいてくださり、祈りを聞いておられます。

いつでも励ましの言葉をもって、私たちの心を訪れてくださいます。
主は「決して見捨てず、見放すことはない」と語ってくださいます。

私たちは神様の愛に取り囲まれているのです。
そこにこそ、私たちの希望はあるのです。
祝福がありますように。


遠州キリスト教会牧師 三輪保志
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ウェスレアン・ホーリネス教団
遠州キリスト教会

〒431-1304

静岡県浜松市浜名区細江町中川6946-2

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